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カナダという国はどうやってできたのか?

自分はカナダへの留学経験があって、カナダ留学専門のカウンセラーとして仕事をしていますが、最近になって気付いてしまいました。

「カナダオススメしてるわりに、実はカナダの歴史を全然知らない、、」

なんとなく、昔イギリスとフランスが戦争してフランスが負けたけど執念で生き残った、だからほとんど英語圏だけど一部フランス語圏もある、とかいう適当なイメージしかありませんでした。

今さらながら、そんな程度の知識でカナダを皆さんに勧めるのはおこがましい!

ということでカナダという国がどのようにできあがったかを振り返ってみようと思うのです。

初めて新大陸(今のカナダ)を発見したのはフランス人

1534年からフランス人探検家ジャック・カルティエさんが何度も派遣され、セントローレンス川付近を探検。


その後1608年に、同じくフランス人探検家のサミュエル・ド・シャンプランさんがセントローレンス川中流域にケベック植民地を創設したそうな。なるほど、だからこの地域は今でもフランス語圏となっているのか。

しばらくの間フランスがこのエリアを中心に植民地を広げていっていましたが、そこにイギリスが目をつけます。17世紀になるとイギリスも同じように植民地活動を始めました。フランス側からしたら「おれたちのエリアだろ!邪魔すんな!」って感じです。

相次ぐ戦争による領土争い

イギリスとフランスは歴史的に仲があまりよろしくないのは有名な話。イギリスvsフランスの戦争は、本国にとどまらずこっちの北米大陸でも。もともと北米の大陸に住みついていた先住民をも巻き込んだ大規模な戦争をたくさんやりました。ウィリアム王戦争とかアン女王戦争とか世界史で聞いたことあるやつです。

そしてついに1762年(最初の探検から200年後!)、フレンチ・インディアン戦争でイギリスがケベックとモントリオールという重要都市を抑えます。その結果、フランスはこの領土争いから身を引くことに。(早いもの勝ちじゃなくて、力の強いもの勝ちということです)

身を引くといっても、フランスから移り住んできていた人たちが全員フランスに帰れるわけもないです。多くのフランス系移民がケベックやモントリオールに残りました。彼らに対して、イギリス側はとても寛容でした。言語を統制したり宗教を強制したりすることもしなかったので、フランス文化が生き残ったのです。

カナダができるきっかけ

今僕らがカナダと呼んでいる地域は、もちろん最初からカナダというひとつの国だったわけではありません。当時は、植民地をどんどん作っているだけだったので、いろんな植民地がそれぞれに独立していたのです。それがどのようにひとつの国としてまとまっていったのか?

1776年、イギリスの植民地に怒ったアメリカ人が独立を求めて立ち上がり、アメリカ独立戦争が起きます。このとき、アメリカに住んでいたイギリス支持派がカナダに移住し始めたことで、アメリカとカナダの関係が悪くなっていきました。(よそ者は帰れ、的な感じかな?)

1812年、様々な事情で反英感情が沸き起こっていたアメリカがイギリスに宣戦布告して、米英戦争が勃発。カナダもイギリスに支配されていたという意味ではアメリカと同じなんですが、様々な事情でアメリカほどイライラしなかったんですね。アメリカはカナダにも攻め入ってきましたが、カナダはイギリスの支援だけでなくアメリカに迫害されたインディアンの支援も受けて見事に侵攻を防ぎました。

そして1862年、アメリカ南北戦争。もともとはアメリカの北部vs南部の戦争なんですが、このときイギリスが南部側につきました。そしたら北部の人はイギリスふざけんな!と怒り、イギリス領のカナダに攻め込んで支配してしまおう!となりました。カナダはピンチ。なにしろ、先ほども書いたように植民地がバラバラあるだけでまとまりがないからです。そこで、今こそ団結の時!ということで、巡り巡って1867年、イギリスはカナダにひとつの国としての権限を与えます。これがカナダの建国とされています。

以上です。

ふぅ、終わりました。カナダの建国記念日は7月1日。毎年この日はカナダ中でお祝いのパレードが行われてお祭り騒ぎとなります。2年前の2017年は、カナダ建国150年記念ということでより一層の盛り上がりを見せました。(ちなみに2018年は北海道が命名されてから150年だったことをご存知でしたでしょうか)


カナダ専門の留学カウンセラーなので、これを機にもっともっとカナダの魅力を発信できるように勉強していきたいと思います。

Naoki