僕は今、北海道留学センターのカウンセラーとしての仕事のほかに、某予備校で高校生に英語を指導する仕事もしています。
その予備校を舞台になかなかしんどい夢を見て、寝起きにいろいろと思うことがありました。
どんな夢だったかというと、「生徒からの質問に答えられないときにスマホで検索をして指導をしているという報告が複数の生徒からありますが、どういうことでしょうか」と問い詰められるという少し過激な夢でした。
授業中にスマホをいじってはいけない
中学生のときに周りが携帯電話というものを持つようになり、授業中に先生の目を盗んでコソコソ携帯をいじることにスリルを感じたことなんかもありました。高校でも授業中は電源を切っておかなければならず、「携帯電話=授業にはふさわしくないもの」という常識が知らず知らずのうちに形成されていた気がします。
当時の携帯電話は、本当に必要な時の連絡手段という枠を大きく飛び越え、友達同士のメールのやりとりや日記を書く、サイトを閲覧するなど娯楽面で機能がよりクローズアップされるようになっていました。そういう意味で、授業中に遊ばないように携帯電話を禁止するという発想は仕方ないのかなと思います。
では、2020年の現代はどうだろう。
携帯電話はスマートフォン、スマホと呼ばれるようになり、日常生活のあらゆることがスマホ1つで完結するような非常に便利なものとなりました。僕が中学高校のときに使っていた携帯電話との最大の違いのひとつが、わからないことを自分で調べられるようになったという点です。
そしてそれは今まで分厚い本や専門家の知識を必要としていたことに対しても、スマホ1つあれば手が届く、そんな時代になったことを意味しています。
仕事においてもなんでもまずは自分で調べてみることからスタートします。とにかく「検索能力」というのがどう考えても求められているわけです。そんな現代において、「スマホを授業中にいじってはならない」というルールは時代錯誤な気がしてなりません。
夢の中で「先生としてのあるべき姿」をもう一度よく考えるように言われ、寝起きに少し考えました。勉強の本質は「知りたい、興味がある」と思うことを自分で突き詰めることにあります。そのための手段が、一昔前までは分厚い資料や参考書や文法書だったわけです。でも今はそうではありません。スマホがあります。そして、知的好奇心を深めるためのひとつの手段としてスマホを利用することがタブーで、文法書で調べなさいというのはなんか違います。
スマホの問題は、情報源が明らかじゃないことくらい。でもそこを見極めるのも訓練だと思うのです。スマホで調べて、大枠を掴んでから文法書でも確認のため見てみる、みたいな勉強の仕方が効率良いな、なんて思います。
ま、これはあくまで夢の話で、実際にそんな風に詰められたわけではないので単なる妄想です。今、とある高校生から進学の相談を受けていますが、その方は「◯◯のこと自分でも調べてみます」といって自分でアクションをどんどん起こすようなタイプの学生さんです。この子はきっと自分で道を切り開いて生きていくのだろうなーなんて思う30歳手前のこの頃です。
Naoki