「この先生は説明がうまい」「あの先生は説明がうまくない」
学生のときにはこんなふうに先生を偉そうに評価していたけれど
いざ自分が先生という立場になって学生が「わかりやすい」とか「わかりにくい」とか言っているのを聞くと
なんだかやっぱりゾッとする
(注)私は留学エージェントのカウンセラーでありながら予備校で受験生に英語を教える仕事もしています
その人たち同士の相性もあるけれど、たしかに説明の上手い人、説明の下手な人というのはある
話のうまい友人に「上手な説明に必要なことはなんだと思う?」と聞いたら
「例えがうまい人」と返ってきた
これはたしかに頷ける
そいつも例えがうまい
というか例えてばかりいる
じゃあどうして例えがうまいと説明がわかりやすいのだろうか?
私はこのように思うのだ
「例える」という作業は「既知」を「未知」と結びつける作業だと
理解できない事柄とすでに自分が知っていることとの共通点を見出して「それと同じだよ」と示してあげるのが「例える」ということだ
例えば、だ
最近iPhoneを使い始めたうちの86歳のおばあちゃんに先日こんなことを聞かれた
「アプリって何?」
「え?アプリ?あーなんかさ、画面にいっぱい四角いやつあるじゃん?それがアプリ。電話かけたかったら電話のアプリ押せばいいし、LINEしたかったらLINEのアプリを押せばいい」
うーん、、、これは説明になっているのか?自分でもよくわからない
ところがChatGPTに「アプリって何?他のもので例えて」と聞いてみるとこれが実にわかりやすい
アプリは、デジタルデバイス上で特定の機能やサービスを提供するソフトウェアプログラムの一種です。他のもので例えると、アプリはツールボックスや道具セットに似ています。
例えば、ツールボックスには様々な工具が収納されており、それらの工具を使ってさまざまな作業を行うことができます。同様に、アプリもあらかじめ用意された機能やツールが詰め込まれており、それらを使って特定のタスクを実行したり、特定のサービスを利用したりすることができます。
例えば、カメラアプリは写真を撮影したり、編集したりするためのツールを提供し、音楽アプリは音楽を再生したり、プレイリストを作成したりするためのツールを提供します。ユーザーは、必要な作業やサービスに応じて適切なアプリを選択し、その機能やツールを活用することができます。
なるほど、道具箱か、それなら86歳のおばあちゃんにも馴染みがある
ということで、どうせまた「アプリって何?」って聞かれる気がするので(なにしろ86歳である)、次は
「あーアプリってのはね、道具箱みたいなものさ」
と説明してみようと思う
とにもかくにも、「わかりやすい」を生み出すには
ある対象を自分が知っていることと結びつけて捉えることが大切なのだ
だとすると、である
「すでに知っている」という領域が広ければ広いほど、理解できる対象範囲も広がることになる
なぜなら、結びつけるための材料が自分の頭の中にたくさんあるのだから
自分が知っていることがBとCしかない人よりも、BもCもDもEもFも知っている人の方がAという謎を理解できる確率やその速度が高まるのは当然のことだ
話は逸れるが、これこそが勉強の価値なのだと思う
国語も数学も理科も社会も、一見すると実生活に直接役に立たないように見えるけれど
実は世の中のあらゆる現象を理解するための重要なツール(材料)になっている
優秀な人は、目の前の現象を理解するにとどまらず、新たな現象を生み出すことにこうした知識を利用している(と思う)
で、せっかくなので留学の話にもこのことを応用してみましょう
留学前の勉強の話です
多くの人は単語や文法の勉強をせずに、話すトレーニングばかりしようとする
それはそれでもちろん話す能力は上がるし大事なことなんだけど
英語力を最大限に高めようと思ったら、やっぱり事前の知識がどれだけ身についているかが重要なんです
多くのことを知っていれば、それだけ多くの新しい発見につながります
ある英語表現を聞いたときに、「あ、これはあのときあそこで勉強したやつと同じフレーズだ!こんなふうに使うのか」と思える人とそうでない人では、そこでの学びに雲泥の差が生まれる
前者は「次自分も使ってみよう」となる一方で、後者はそう思えない
というより、それが学びのチャンスだと思うことすらできないでしょう
留学中に英語が話せるようになるメカニズムはつまるところ、
1. すでに知っている表現が実際の会話で使われている場面に遭遇する
2. 次自分も使ってみようと思う
3. 使ってみる
4. もっと使ってみる
5. 自分のフレーズになる
というプロセスの連続なのです
さあみなさん、勉強しましょう
Naoki