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きっかけはなんでもいい、大事なのは決断したあと〜feat. 僕のフランス語の先生〜

オーストラリアの学生ビザ申請の際には、GTEと呼ばれる英作文(志望動機書)の提出が必要です。最近は当社からオーストラリアへ学生ビザで渡航予定の皆さんから日本語で書いてもらった内容を添削し英訳するという作業を行なっています。

「なぜ日本ではなく、わざわざ海外で学生ビザを取得してまで長期で勉強したいと思うのか?」

そこを一番重要視して添削するのですが、この点が曖昧になってしまっている方が少なくありません。

僕は、それはある意味仕方のないことだと思っています。たぶん、留学を考える人の多くはきっかけがぼんやりしています。

「海外ドラマや映画が好きで」
「英語が好きで」
「周りが留学してて羨ましくて」
「英語がペラペラ話せるようになりたくて」
「キャリアに留学経験があったらかっこよくて」

なんとなく、そんな風に思ったのがきっかけであることが多いのでは?実際、カウンセリングに来た方になぜ留学したいかを問うと、だいたい似たような答えが返ってくるものです。そこに対して、「いや、そのきっかけじゃ弱い!もっときちんとした理由を説明しなさい!」と言いたいわけではありません。

そうではなくて、せっかく留学を決意したなら、今一度「なぜ留学するのか?」を考える機会を設けてほしいのです。



今年は、大学時代お世話になったフランス語の先生が定年退職される年でした。(大学教授の定年は70歳らしい)

昨日、先生の最終講義が開かれると聞いて授業を受けに行ってきました。

テーマは「言葉」の力。

22年間の大学での語学教師としての彼女の哲学をたっぷりと教えられた90分でした。内容を書き始めたら文章があほみたいに長くなってしまうので、それはしません。というか、自分が学んだことを簡単に書き起こす自信がないです。もっとじっくり自分の中で消化したい、そんな風に思えるほど素晴らしい授業でした。

授業で感じたことのひとつは、ただ英語が話せるということには価値がないこと。わかってはいたけれど、改めて強く感じました。

大学というのは、思考する場であり、教養をさらに深めて、自分の知的好奇心が赴くがままに研究し、発表し、また思考する場です。その大学で外国語を学ぶということは、その言語をとりまく歴史や社会、哲学、芸術、文化、いろんなものを知り、そして思考し自分を持つということです。

これはなにも大学に限った話ではありません。
何が言いたいかというと、要するに、ただ英語を読める、書ける、話せるだけでは、あまりにももったいなさすぎるんです。

だからこそ留学も、自分の興味のある分野を深めるために利用してほしいし、特に学生ビザは「学生」として留学するのだから、そういうことに本気で取り組む場にしてほしいのです。

偉そうなことを言っていますが、僕自身、カナダにワーホリした当時はカナダの歴史や文化にはあまりにも無関心でした。この仕事を始めて、今度はカナダを皆さんにおすすめする側に立って初めて、カナダについてもっと知りたい、と思えています。僕はもう大学生でもなんでもないので、自分で時間を作って調べていくしかありませんが、皆さんは違います。

留学という決断をするのはどんな些細なきっかけでもいいのですが、一度留学に行きたいと思って行動を移すと決めたなら、じっくり自分と向き合い、自分が何が好きで何をしたいか、それが未来の自分にどう生きるかを、深く深く考える時間を設けてください。

そしてそれを実行する場として、留学を活用していただきたいです。

最後に、昨日の授業中にぐさぐさと胸に突き刺さった先生の言葉を。

「英語屋さん、フランス語屋さんなんていっぱいいるわよ。外国語を学ぶことをただの言語スキルの獲得と捉えてしまってはまったく意味がありません。外国語を学ぶなら『ことば』に意識を向け、どうやって自分を発信するか、どうやって異文化を持つ人とコミュニケートするかを、自分風に考えることよ」

Naoki