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おらら、、、ノートルダム、、、

まるで映画のワンシーンのような映像をニュースで見て身震いしました。パリのノートルダム大聖堂の大火災です。中に入ったことはないんですが、パリにいたときに何度も訪れた場所でした。

個人的には大聖堂の外壁に点在する気味の悪い怪獣たちがお気に入りでした(あまりにも気味が悪いので悪者だと思い込んでいたんですが、実は悪霊から大聖堂を守るいいやつらだと後から知りました)



ニュース映像を見ていると皆口々に「おららー」。
この「おららー」というのはフランス語で「あらら、あちゃー、ありゃま」と目の前の出来事を嘆き悲しむときによく使われる表現です。そこから派生して「うら!」とか「おら!」とか言ってる人もいます。

今回の火災騒動で注目を浴びるノートルダムですが、そもそもなぜこんなにニュースになったのでしょう?

パリのノートルダム大聖堂

この建物はフランスのカトリック教会(キリスト教の一派)の象徴とされています。ノートルダム(Notre Dame)というのはフランス語で「私たちの貴婦人」(英語だと、Our Wives?)という意味で、カトリックの人々にとっての「貴婦人」とはすなわちキリストのお母さん、聖母マリアのことです。

築850年の歴史をもちます。着工が平安時代(12世紀)、完成したのは鎌倉時代(13世紀)です。ものすごい歴史です。

長いことカトリック教徒にとっての象徴だったわけですが、18世紀のフランス革命で革命派が破壊してしまいます。フランス革命は、絶対的な権力を持つ王家が国の赤字を切り盛りするために市民の税金をどんどん釣り上げたことなどで貧困にあえいだ市民たちの怒りの革命運動です。ノートルダム大聖堂は王家とつながりがあったために、破壊の対象となってしまったんですね。

すっかり廃墟となって閉鎖されてしまったノートルダム大聖堂。その後まもなく皇帝に即位したナポレオンが自らの王位戴冠式を従来のランス大聖堂ではなく、ここノートルダム大聖堂でおこなうことにしました。これまでの風習をあえて崩し、これまでの王政とは違うということを国民に見せつけました。その数十年後には文豪ヴィクトル・ユーゴーが「ノートルダム・ド・パリ」という小説を発表。中世の大聖堂を舞台に庶民目線で描かれたこの小説は広く市民の心を動かし、ノートルダム大聖堂がどんどん市民の身近な存在となっていきました。そして瞬く間にノートルダムの大復興運動が起こり修復活動が本格化します。

とまぁ、こんな感じで紆余曲折を経ながらもずーっとパリのことを見守り続けてきたノートルダム大聖堂は、パリジャン・パリジェンヌにとっては宝物のような存在なわけです。

実はカナダにもあります

ノートルダムという聖堂は実は世界各地のフランス語圏に存在します。カナダもケベック州はフランス語圏となっており、中心都市モントリオールにもノートルダムがあります。



オールドモントリオールという歴史地区にそびえ立つモントリオールのノートルダムは屋内のステンドグラスの装飾美がとっても有名です。昨年出張で初めて訪れましたが、とにかく色鮮やかで「美」でありました。そして、あの荘厳で厳正で重々しい、けれどもすーっと澄んだひんやりした空気。神聖な場所であることを再認識させられました。

モントリオール出張の報告記はこちら

通常、教会のステンドグラスは聖書内の出来事が描かれるものなんですが、モントリオールのノートルダムのステンドグラスは、モントリオールの宗教的歴史からの場面を描いているということです。地域性を大切にしているんですね。

先日モントリールに向けて出発したIさん。フランスでステンドグラス作製の修行を積んだ経験もある自他共に認めるステンドグラス狂(失礼)の方で、モントリオールを渡航先に選んだのはノートルダムの存在が大きかったようです。ステンドグラス好きも唸るほどの美ということです。



モントリオールのノートルダムは1829年に完成。パリのノートルダムに比べれば歴史は浅いですが、それでもモントリオール市民そして観光客にとってなくてはならないものとなっています。

パリのノートルダムが尖塔と屋根の一部を焼失しました。火災でなくてもこの先なにかが起きてこのモントリオールのノートルダムも見られなくなってしまうかもしれません。今、見れるうちに、あの美しいステンドグラスをご自身の目に刻み込んでほしい、そんな風に思います。

Naoki