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時制を過去にするだけじゃない!過去形の役割

「コロナがなかったら今頃はカナダにいたのになぁ」「コロナがなかったら急に帰国をする必要なんてなかったのに」

そんな状況に直面してしまった生徒さんのことを思うと、本当に心が痛くなります。

カナダ国内の状況としては、バンクーバーのある西側のブリティッシュコロンビア州では感染者の数が日毎に減少しており、いくつかの語学学校は通常授業再開の具体的なプランを立て始めています。

ところがトロントがある東側のオンタリオ州ではいまだに1日の感染者数が300名台と高い数字を叩き出しており、同じ国の中でも西と東で状況が大きく異なります。一体何がどうなってトロントは感染の歯止めが効かないのか、、、悩ましい状態が続いております。


過去形のウンチク

さて、今回は「過去形」の役割についてのウンチクをお話しようと思います。

過去形の本来の役割は、文字通り、「過去」の話をするときに使いますね。一本の時間軸において、現在と過去の間にある距離感を物理的に出しています。



ところが、過去形の役割というのはこのような物理的なものだけではないというのが今回のお話です。

というのも、英語は(日本語もそうですが)物理的な意味から派生して抽象化するという現象がよく起きます。

たとえば、get「手に入れる、買う、受け取る」という動詞。

本来は「ものを物理的に自分のものにする」という意味で、

I'll get something to eat.(食べ物を買ってくるわ)

などと使います。

こうした物理的な意味から抽象化してできあがった意味のひとつが「〜になる」という用法です。

He got angry at me.(彼は私に腹を立てた)

angry「怒っている」という<状態>を手にした、というふうに手にする対象のものが<もの→状態>に抽象化しているのがわかります。

で、同じようなことが過去形に対しても言えます。

つまり、過去形を使うことによって、単に物理的な現在と過去との距離を示すだけではなく、

①現実→仮想



②直接的な表現→間接的(婉曲的)な表現

といった抽象的なニュアンスを示すことができるのです。

①現実→仮想、人呼んで「仮定法」をつくる

高校のときに多くの方が苦手意識を持ったであろう「仮定法」

「もし〜なら、(今ごろ)...だろうに」「もし(あのとき)〜だったら、...だっただろうに」などなど

現実には起こっていないこと、起こりえないことを仮定して述べる表現です。

仮定法は動詞・助動詞を過去形にして作るのですが、なぜ過去形にするのかといえば

・現実には起きていない、起こりえないので「現在形」を使うことができない
・「現実と空想との間にある乖離・距離感」を表現するために、現在形とは物理的に乖離している過去形で距離感を出す

という2つの理由があります。

本ブログの冒頭、

「コロナがなかったら今頃はカナダにいたのになぁ」「コロナがなかったら急に帰国をする必要なんてなかったのに」

というのはまさしくこの仮定法を使った表現です。日本語を見ても、過去形でかつ空想を語っていますよね。

特にひとつめの文は、「今頃は」と現在に軸を置いておきながら「いたのになぁ」と過去の時制になっています。仮定法で多くの人がつまずくのはこのパラドックスが原因だと思われます。

過去形は単に時制を過去にするだけではなく、現実ではない空想世界を表現する役割もある、その場合は現在のことでも過去形で表現することがある、と理解しておけば混乱することはなくなります。

②直接的な表現→間接的(婉曲的)な表現

そしてもうひとつ、助動詞を過去形にして使うことで生まれるニュアンスがこれです。簡単にいえば、表現が遠回しになるので丁寧な伝え方になります。

canよりcould、willよりwould、mayよりmightが丁寧なのです。

日本語でも同じ現象が起きています。

よく間違った敬語として取り上げられる「〜でよろしかったですか」

これは「よろしいですか」がなんだか直接的なので、丁寧に接しようとして思わず「よろしかった」と過去形にしてしまっている象徴的な例です。私たちは無意識のうちに過去形を丁寧な表現として使っているのですね。

僕は「よろしかったですか」と店員さんに言われたら、「あーこの人は丁寧に接客しようとしているんだな、心優しい人だな」と穏やかでいるようにしています。そのうち「よろしかったですか」が正しい日本語として認められるようになるのではないかと密かに思ってもいます。


まとめ

というわけで、過去形が単に過去のことを表現するだけじゃないというお話でした。

過去に目を向けて実際には起きなかったことを空想してみたり、現実には起こりえないことを空想してみたり、、、仮定法で物事を考えるという行為は、実はネガティブな思考が生まれやすいのかも。参考書見てても仮定法って結構ネガティブな例文が多いです。

「あと10分はやく家を出ていたら電車に間に合ったのに」とか「もっとお金がたくさんあったら外国にいけるのに」とか。

大切なのは「今どう行動するか」

今回のコロナのアウトブレイクも、現実として起きてしまった以上「If the Covid-19 hadn't occurred(コロナがなかったら)」と現実から目を背けるのではなく、「Thanks to the Covid-19(コロナのおかげで)」の精神でいられるように意識することがより一層求められているような気がします。

Naoki