ITの発展は本当に凄まじくて、一昔前までポンコツだった自動翻訳機能がどんどん進化しています。
Googleがリアルタイム翻訳機能付きのイヤフォン販売開始というニュースを見て、いよいよ外国人同士が別な言語で会話できる時代がすぐそこにきているなあと実感しました。
「Google、リアルタイム翻訳対応「Pixel USB-C イヤフォン」を3456円で発売」
また、僕はiPhoneユーザーなんですが、Siriもかなり正確に聞き取ってくれるようになっています。このブログを書きながら、ふと思いついて今までほとんど使ってこなかったSiriを起動してみました。僕はiPhoneを英語で使ってるので、Siriも英語ネイティブです。僕の稚拙な英語を完璧に聞き取り、的確に答えてくれるので、まるで人と話しているような錯覚を覚えたほどです。
最近CMでは、通訳をしてくれるアプリの宣伝が流れていたりもします。
近い将来、外国語を話せなくても外国人と会話し、仕事も旅行もできる時代がきます。
「ただ訳すだけじゃ伝わらない微妙なニュアンス」もあるかもしれませんが、ゆくゆくはそのニュアンスさえもAIにインプットされてますます高性能化するのでしょう。
こうした時代の流れを受けて、こんな考えが台頭してきています。
「僕たちは外国語を学習する必要がないのではないか?」
僕の個人的な考えですが、機械を頼らずに外国語で会話することってやっぱり楽しいですし、自分の話せない言葉を話している人を見ると純粋にかっこいいなーって思います。
通訳や翻訳という仕事については、自分と相手の間にもう一人専門家を介在させるという時間と労力がかかるので、それを効率化し最適化したほうがいい、と考えるのはわかります。だから、通訳・翻訳を生業にする人が減っていくという意見には納得できます。
でもだからといって、僕たちが言葉を学習することをやめる必要はどこにもありません。
言葉を学ぶことを通して、(特に、言語的にも文化的にも閉鎖的な日本人)が異文化に興味を持ち、違いを知る努力をし、そしていろんな価値観に触れる。こんな素晴らしい教育の機会は、失うべきものではありません。
いくらAIが発達し高精度な通訳翻訳ができる時代が来たとしても、言葉を学ぶことの素晴らしさ忘れないで生きていけたらなと心から願います。
Naoki